「人生に無駄なことは何ひとつもない」という詭弁

「人生に無駄なことは何ひとつない」という言葉がある。一見、とてもありがたい言葉に見えるが、他人に自分の都合を押し付けるとき、自分の人生を無理に肯定するときに限って使われがちな、現状としては中身のない美辞麗句になっているというのが現状だ。だからといって、反対に「人生は無駄なことしかない」という言葉にも同意できず、「人生に無駄なことは何ひとつない」と「人生は無駄なことしかない」という言葉はその中身の無さにおいては根本的に同じだ。

「無駄」という言葉は非常的に抽象的で、そして主観的な判断に基づいく言葉であるということを理解しておかなければならない。いくらでもその人によって拡大解釈、拡張解釈、はたまた縮小解釈できる。つまり、どうとでも言える、何にでも当てはめることができる言葉である。もちろん反証可能性を持っていない。「人生は無駄なことなんて何ひとつない」。大層な言葉であるが、「無駄」の定義をどのようにでも解釈可能であり、よってどうとでも言えるというで、内容が空虚でナンセンスな詭弁である。例えば「社会は均整が取れている一方で非合理に満ちている」という言葉と同じように。

「無駄」という言葉の解釈をどのようにするのかは個々人の自由であるが、それを他人に無理やり押し付けるのは横暴ではないか。「無駄」という解釈を決めるにあたっては、まずはじめに目的を定めなければならない。その目的を明確にし、他者と共有するが他者との「無駄」という言葉の定義についての有意義な折衝を始めることに役立つのではないか。