日本語ロックや日本語ラップの文化的正当性を反商業主義、反社会性、反体制性に求めることについての限界

ラッパーが大麻やドラッグ関連で逮捕されたことに関連して。

例えば日本語ロックの話をすると、当初舶来品としてありがたがられていた英米ロックのロックから影響されて確か60年代あたりから日本語でロックをするようになったが、それに対して日本語でロックをしたって真似事に過ぎないという意見があった。それらの意見を踏まえながら日本語ロックに取り組んでいた人々は自分たちの音楽の文化的正当性を確立するために英米のロックに日本の要素(それは往々にして白人の目を通したエキゾチックな日本観を内面化した)を加えるといった試行錯誤があった。またそれ以外にも、日本のポピュラー音楽であった歌謡曲と差別化をするために、商業路線を忌避した。また一方で英米のロックの特徴である反体制性を受け継いでいることを証明するために日本のロックも反体制という姿勢を試験勉強に真面目に取り組む秀才のように愚直に模倣した。

しかしそのような姿勢にはいくらかの問題点があった。本場では比較的バカな若者たちから熱心に支持されたロックも日本では「ありがたい海外からの舶来品」として受容されたということだ。当然、ロックにいち早くアクセスできるのは経済的に裕福でいくらか英語を理解することができるエスタブリッシュメントの子息が多かった。当初日本語ロックに携わっていた若者たちはそのような社会的に上流の階層に属している場合が多かったということだ。

また、自らの音楽の正当性を確立するために反体制アピールを反商業アピールすることで起きる弊害もあった。それは下方向への競争が始まるということだ。「俺のほうがマイナーである」、「俺のほうが無茶をした」、「俺のほうが社会的に苦労した」というような武勇伝エピソード合戦、出自の恵まれていないエピソード合戦という上方向ではなく下方向に向かっていく競争は際限がない。下には下がいる。また、サバルタンは語ることができないからサバルタンなのだ。表舞台に立って自らの体験を語るつらつらと語るミュージシャンの姿は結果から逆算すると、それでも恵まれている人、勝者扱いされる運命にある。そんな際限のない下方向へのマウント合戦の勝者が最終的に行き着く先には破滅しかない。

話を戻そう。日本語ラップはどうか?日本語ロックと同様、日本語ラップにおける先駆者は経済的に豊かな人間であった。自分たちの音楽の正当性を確保するため、ギャングスタ・ラップを日本に置き換え土着化しようと取り組んだ人達もいた。(書き途中)