『嫌われる勇気』という本が流行する時代状況について

アドラー心理学はインチキ疑似科学という話は聞いていたが、どういう内容なのかはよく知らなかった。最近その中身を知った。

内容については面倒なので触れない。色々アドラー心理学批判の言説がネットにあるからそれで十分だと思う。

自分が考えたのが、『嫌われる勇気』が現代日本社会で流行するのは、今の新自由主義、自己責任社会、他者に迷惑をかけてはいけないという社会の風潮と合致するんだろうな、ということだ。胡散臭い経営者から支持されるのも分かる。彼らはそんな競争社会を勝ち抜いてきた人たちだからだ。ホリエモンのように紆余曲折ありながらものし上がってきた人間には尚更相性が良いんだろう。わたしは彼らのようにアドラー心理学を信じられるような優秀な人間では無いし、また、一切の疑問を持たずすべてを飲み込むほどの素直さもないようだ。

アドラー心理学は科学的根拠の無い個人の思想だ(続編の『幸せになる勇気』でアドラー心理学は一つの哲学です、みたいなことを言っているらしい。だとするとどの哲学の流れを汲んでいるのだろうか?)。科学的根拠が無いからといってじゃあアドラー心理学がダメな代物かというとそういう訳ではないが、少なくとも科学的根拠に立脚していないのであればもはや現代では心理学という看板を掲げ続けるべきではないだろう。えらいてんちょうはなんかの動画で「現代の新興宗教は宗教の皮を被らない」と言っていたのを思い出す。なるほど。大昔の心理学勃興期の或る一つの考え方が現代になってなぜか独り歩きしているんだな。宗教だからといってダメだというのは短絡的だろう。しかしこれからの時代、もっともっと社会は苦しくなるはずだ。平成は振り返ってみると停滞の時代であったといえるが、これからの令和は平成以上の苦境が行く先に待ち構えているだろう。椅子取りゲームの椅子は更に少なくなってくる。そんなときに、この思想は果たして社会にとって有用なのだろうか?社会の空気に合っているだろうか?