2019/04/30 来るべき令和時代の日本の音楽産業におけるメインカルチャーに位置する音楽群をまとめるジャンルに対する期待、他

最近したこと
ついに上着をクリーニングに出した。
電気代を支払った。

平成が終わるにあたって、心残りなのはJ-POPの次に登場する音楽についての文章を書けなかったこと。上手くまとまっていないので書くのをやめようと思ったが、まあ一発で完成形を持ってこようとハードルを上げていくと、ついぞかけずじまいになるだろうと思い、このようにとりとめもなく文章を書きなっ柄、それを見返しながら、完成形を形作ることができるようにしていこう。

謡曲とは、昭和時代の音楽産業におけるメインカルチャーの音楽というジャンルのくくりである。なので、その音楽性、その音楽的影響の流れに依拠っしたジャンル分類ではないということに注意だ。やがて、ニューミュージックの登場など、既存の歌謡曲に分類できなかった音楽が登場するようになり、J-POPという言葉の登場とともに、日本の音楽産業におけるメインカルチャーに属する音楽はJ-POPという言葉でくくられるようになった。歌謡曲は「昭和時代に」日本の音楽産業におけるメインカルチャーに位置した音楽のジャンルということになった。歌謡曲はJ-POPに取って代わられたのだ。もちろん歌謡曲も大正時代にとりわけ使われていたレコード歌謡という言葉に取って代わって定着したという歴史的背景がある。まとめよう。
レコード歌謡、歌謡曲、J-POPは、大正、昭和、平成とパラレルの関係にあった。

レコード歌謡ー歌謡曲ーJ-POP
  大正  ー 昭和 ー 平成

では、次の令和の時代に登場してくる、J-POPの後釜となるべき音楽ジャンルの名前はどのようなものになるだろうか?そして誰が名前をつけるのか?
私は音楽産業の裏方ではなく、日本の音楽文化のまさに担い手であるミュージシャンもしくはリスナーによって定義してほしいなというささやかな希望を持っている。

備忘録
謡曲嫌いの筒美京平が、なぜ歌謡曲の作曲をするようになったのか。

謡曲、J-POPなど、日本の音楽産業のメインカルチャーに属するとされる音楽はある意味で怖いものなしだ。日本におけるロックやはたまた最近流行りのヒップホップを見ればわかる。
日本のロックの問題点について考えると大きく2つある。①日本のロックのその文化的真正性は本場の英米のロック、そして本場の音楽市場に依存していること②そして、ロックはそのアイデンティティの根拠として反商業性、反大衆性を根拠としてきたということの2つだ。日本のロックは上記の2つの葛藤をもっていた。それは輸入文化ならではの葛藤といえよう。
文化的真正性を本場のロックに依存しているとはどういうことか。
つまり、「本場のロックに近い、似ている」ということが自分たちの音楽が本物であるという真正性の根拠であった。そして英米に認められているということが真正性の根拠だった。価値の判断基準が英米のロック、ロック市場頼みだった。日本のロック文化の移り変わりは、ある時期(80年代後半から90年代)まで完全に英米のロックのムーブメントに依存しており、日本のロックバンドが参照していたのは日本のロックの歴史に対して縦軸に存在する先達の日本のロックバンドではなく、横軸に同時代的に存在する英米のロックバンドであった(厳密に言うと日本のロックバンドは10年ほど本場のロックとのムーブメントにタイムラグがあった時期もある)。
ロックはそのアイデンティティを根拠として反商業性、反大衆性を根拠としてきたとはどういうことか。
歴史を紐解くと、黎明期においては日本におけるロックは70年代前半ごろに流行ったグループサウンズに対しての反発、否定によって成り立っていた。表層的なレベルでのロックの受容によって、ロックが商業主義に利用された背景があるからだ。グループサウンズの曲は、泥臭い土着的な日本の歌謡曲を引き継いだ系譜を引き継ぐ曲が多かった(あくまでも傾向であり、グループサウンズ隆盛期におけるロックの受容の実践は確かに存在した)。それに対する反発として、差別化として、日本のロックは反商業性、反大衆性を拠り所にした。(商業主義に立脚した音楽産業において、反商業性を掲げることには無理があり、後にロックは商業志向側、大衆志向側である歌謡曲側へと接近していく。)そのため、日本のロックは、英米に対するコンプレックス、英米至上主義的な価値観が優勢だった。
そのような英米コンプレックスは、日本において日本のロックが自明化し、自律化した80年代後半から90年代にかけてなりをひそめる。
その要因としては、①ボウイなどの、歌謡曲に比重が寄ったバンド(私に言わせればそれらはロック風歌謡曲だが)が日本の音楽産業においてヘゲモニーの獲得②TV番組である「いかすバンド天国」によって日本のロックの認知度の向上③参照元である本場の英米のロックのオルタナティブ以降の停滞④ロック文化の発展に伴うロックという言葉の定義の多様化が挙げられる。
とはいえ未だに日本のロックには欧米コンプレックスは存在する。それが昔より見えにくくなっただけなのだ。
しかし、歌謡曲、J-POPはそのような葛藤などない。「本場の音楽、市場」の存在に対してビクビクしながら様子を伺う必要がない。そして、音楽産業を肯定して成り立っているため、商業主義と反商業主義の間で悩む必要もない。もちろん、全面的に商業主義を肯定した態度には弊害もあるが。筒美京平が歌謡曲に転向したのは、かれがそのことについてよく分かっていたためだろうと思う。

2019/05/17 修正
2019/05/22 修正

参考文献

木本玲一『グローバリゼーションと音楽文化 日本のラップミュージック』
南田勝也『ロックミュージックの社会学
宮入恭平『J-POP文化論』