2020/05/03 具体と抽象について、オマージュという言葉に対する誤解について

・具体と抽象について

「王道もの」が好きですと言いながら、実際に作っているものは既存の作品群をただ切り貼りしただけに過ぎないものを作り出す人がたまにいる。

王道もの(と呼ばれるもの)の本質的な骨格を模倣し自分なりの解釈でもって再構成するのではなく、その具体的な形で表出される部分、パーツだけを真似ているからだ。

 

・オマージュという言葉に対する誤解について

オタクの人が自主制作した作品でたまに見られるのが、作品の流れや文脈、意図とは関係ないオマージュだ。分かる人にだけ分かればいい、クスッともらえばいいといったサービス精神や少しだけ衒学的な内輪向けの遊び心から気を利かせたつもりかもしれないが、作品の流れや意図と自然に結びつかなければ、その符牒の意味を解している人間からしても自分の趣味をひけらかす以外には意味を持たないものでしかないと捉えられ、ただただ鼻につくなあと思われるだけなのではないか。

いやむしろ、たちが悪いのはオマージュという言葉で思考停止しているだけということに気づかないことかもしれない。既存のコードを踏まえた上で、それに対して自分で新たな解釈や表現の可能性を考えることをせず、それまでの既存のコードや記号をなんのひねりもなく丸パクリしていることを結果的に「オマージュ」という言葉で(故意ではないものの)結果的に正当化させている。

オマージュをするならするで、①流れに沿っていること(例えばパロディ秒屋としての笑いを提供するため等)②意図が明確に見えること(ペダンティックな自己満足以外の意図で)の2つを注意するべきだ。