振り返りと思ったこと

この年は何もしてなかったように思います、たいして成長することもありませんでした。本当に何もしてなかったなあ。ああそうだ、したと言えば動画鑑賞くらいかなといった感想です。何もしなかった原因として目標を持っていなかったということとが理由の一つとして挙げられるでしょう。目標がないと人は行動できないのだなと感じました。また、自由な時間が多かったということも理由の一つとしてあるかもしれません。時間がありすぎるとだらけてしまいがちです。

 

最近思ったこと

自分は飽きっぽい性分だと思っていたが、飽きっぽい性格は生まれもって備わっている先天的な要素のみで構成されている訳ではないのかなと感じました。大きな目標を持ちえていないという理由もあるのかなと感じました。

なんだかよく分かりにくいので、たとえ話をしましょう。クラプトンなどのギターヒーローに憧れてギターを買ったものの、二週間ほど(人によりますが)ギターに没頭したあとは、次第にだんだん触ることも無くなっていき、やがて部屋の隅に置いてある埃のかぶったインテリアになってしまうことってよく聞きますよね?

これは私の恥ずかしい体験談なのですが、似たような体験をしたことがある人は多いとのではないでしょうか?ギターに限らず、私はよくあります。それは飽きっぽい性格のせいだけではなく、大きな目標を持っていないからではないのかというのが私の言いたいことです。つまり、私にとってはギターを買うことが目標であり、そして、頭の中で描いた、ギターを心地よさげに弾いている自分のイメージに同化することが目的だったのです。ギターを持っている自分になることが目的だったのです。そして、ギターを弾いて何をしたいといったより上位の目的を持ち得ていませんでした。なので、ギターを買って少々弾いたくらいで私は満足したのです。つまり、目的が達成されたのです。目的が達成された以上、さらなる目的が無い限りわざわざギターを続ける必要なんてありません。

目的を達成できたという点では私のギターを買うという行為はまあ失敗ではないかもしれません。安物の中古だったのでおよそ1万円の出費ですみました。個人的には買うという行為自体に満足する、というお金の使い方は度が過ぎなければ悪いとは思いません。この買い物はある意味では成功でした。ただ、より先のビジョンを持っていなかっただけです。飽きっぽいという性格は、我慢が美徳の日本においてはネガティブな意味にとらえられがちですが、自分は飽きっぽいと自覚している人はそれに対してコンプレックスを感じる必要がありません。繰り返しになりますが。ただ、より先のビジョンを持っていなかっただけなんですから。このたとえはお金のよりよい使い方について述べているわけではありません。やや脱線してしまいました。

話が長くなりました。つまり私が言いたかったのは、大きな目的を持っているかということがよりよい判断の一助になるということを念頭に入れると便利だということです。