2019/06/12

今月はいろいろと出費が掛かりそうだ。

信じる者は救われる、努力は必ず報われる、やればできる、やるときゃやる、人生に無駄はない、なんとかなるといったよく使われる言葉の本質は、本人の解釈でどうとでも言えるということだ。そのような言葉を、後付けで持ち出して物事を正当化する方便は危ないので使ってはならない。

そのような結局は使う人の解釈の問題やさじ加減で使われるような言葉の使用に対しての、ある程度懐疑的な態度は必要だろう。

演技じみた自分に酔っている喋り方や、ドヤ顔を表面上は隠しながらも人の全てを見透かしたような分かったような雰囲気をまとってボソっとしゃべるということを自分はしていないだろうか?そういう態度は非常に独善的で偉そうだ。気をつけなければ。

 

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ヒップホップは馴染みがないが、この2つは良いなと感じた。

以前から気になっていたが、自分は「感じた」と「思った」の違いについてあまり関心を持たず、それらを混同しながら使っている。

この2つの違いはなにか。「感じた」は「思った」よりも感覚として受け止め、反応するというニュアンスか。さらに言えば「感じた」とわざわざ書くのは白々しいような気もする。なにか自分を客観的に捉えようとしているような、第三者視点で他人事のように記述しようとしているように思える。

「感じた」という言葉を使わずに表現すると、読み手にも自分が感じたもの、湧き上がった感情がダイレクトに伝わるのではないか。

また新たな疑問が浮かび上がってきた。「思う」と「考える」の違いはなにか?