私がコント漫才を好きになれない理由の考察

私はお笑いが好きではないと思っていたが、実はそうではなく、お笑いと言うよりもその中の下位ジャンルに当たるコント漫才が好きではないのかもしれない。

通常漫才は舞台上ではボケとツッコミに分かれて演じられるが、ツッコミ側が冒頭でボケが提案するコントに乗っかるという点、そして更にパントマイムに付き合うという点に私は違和感を持ってしまうからだろうと自己分析した。

付け加えて言えば例えばコント漫才において、コンビニの自動ドアの開閉を模した動作などは嫌気が差すほど見たものであるが(同時に薄ら寒い印象を抱かせるが、その動作を行うことに対して恥じらいなどの感情をなんとも思わないのはどうかと思うがそれは置いといて)もはや演者と観客との間にある一つの共通認識が成立していると思っていてそれに甘んじているように見えるところが、コント漫才に対して違和感を感じてしまう理由なのだろう。また、日常生活でコント漫才の導入における、「俺、◯◯に憧れてんだよねー練習させてくれない?」から2人で実際にパントマイムで練習を始めるなんてやりとりは現実の生活ではなかなか見られない。長くなったがまとめると、コント漫才の構造自体にも言及してツッコんでほしいということだ。

学生の漫才を見たことがあるが、やはりプロの漫才とは違うものがある。ツッコミの人間が目立とうとしたりボケ以上の爪痕を残そうとするところも印象的だ。

とりわけよく見受けられるのは漫才の途中でいきなりツッコミの人間がボケの人が言うことに乗っかったり、更にはノリだすことだ。ツッコミの人がボケに乗ったり、ボケ出す事自体が悪いとは言わないが、何もなしに行うと漫才における整合性が取れなくなって破綻するので、ワンクッションとしての一言をおいてからやってほしい。そういう漫才におけるツッコミ役のキャラクターの破綻に対して、「いや、これが漫才だから」といった、漫才のコードでごまかそうとする態度には共感できない。

漫才におけるコントに乗るんだったら先に「えー、なんでだよ、やだよ」「お願い!」といったやりとりを形式上入れたほうがいいと思う。それかおぎやはぎサンドウィッチマンみたいにネタ作成者のご都合主義なコント漫才の導入を茶化すようなメタ的な導入とか。ツッコミの人が整合性を保ちながらボケたかったら、自分で自分の言ったことにツッコめばいいと思う。

 

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