お笑いが好きなイキリ大学生あるある
・ラジオを聞いていることをアピールする
・リトルトゥースである
・あちこちオードリーを見ている(佐久間宣行の番組をよく見ている)
・オードリー若林の口調を無意識に真似する
・その前は千鳥ノブの口調を無意識に真似る
・お笑い用語を語りたがる
・エセ関西弁を使う(最近だと「知らんけど」を使う)
・そのくせ劇場には行かない(テレビとラジオで完結している)
・居酒屋では周りの人たちに聞こえるように大声で話す
・サウナが好き
・キツい下ネタを言うのがかっこいいと思ってる
お笑い芸人あるある
・内輪での芸歴にこだわる
・腰が低い割に選民思想が強い
・両腕を開いて片足を上げるポーズをする
・批判されるのを激しく嫌う、批判されること自体を許さない
・テレビの裏側の話しやバラエテイ番組での立ち振舞の「技術論」について語りたがる
・なんやかんやいってテレビに出ている芸人はルックスがいい
・教養に欠けるひとが多い
・頭のいい大学を出ている芸人が頭を良さを生かした漫才をしようとするが、結局受験勉強的な知識を自己満足的に披露してるだけで面白くもないし頭の良さや教養を感じない
・往々にして権力指向である
・ネタを書いている方、書いていない方という内輪の話を皆興味があると思っている
・おだてられてエッセイを書くが書かれた文章が冗長で自意識過剰
・脚本を書いたり映画に挑戦するが何故かシリアスものを作る。そしてつまらない。
邦画(文芸)あるある
・画質は良い
・文芸路線の割にはかわいい女子高生が出てきて、その女子高生を可愛い感じに撮ろうとする
・基本つまらない
・何かしら意味深な良いことげな事を劇中で言うが、実際は深く考えておらず雰囲気でぶっこんたただけ
・かわいくて若い女性がメガホンを取っている
・そのかわいくて若い女性がメガホンを取っている映画の脚本は彼女の学生時代の体験をもとにした私小説的な映画だ
・皮肉にもそしてそのような映画は不思議と同じような女性若手映画監督と似かよっていて、図らずもその監督の浅さや個性の無さ特別性のなさを浮き彫りにしている
・可愛い女の子を出せばいいと思っている
・安易な答えを出さないのが誠実かなと思いました、とインタビューで語りがち
・安易な答えを出さない、と言うが実際はよく考えたり調べていなかったり作品の中に落とし込めていないことをごまかしているのが大半
・エモい場面作ろうとしたがり
・自分以外の人間は呑気に生きてるとか主人公思っていがち
・そしてその主人公を主人公に近い距離にいる父母もしくは友人が諌めがち
・劇中で主人公の欠点を他の登場人物がキザっぽくドヤ顔で指摘しがち
・内輪でのみ消費されがち
・夜の繁華街でけだるげにタバコの煙くゆらせがち
「正義の暴走」って本当かな?ー頻発する「炎上事件」についての所感ー
ファミリーマートのおにぎりを巡って炎上騒ぎが起きたらしい。
らしいというのは自分はこの件についてはよく知らないからで、またこのたぐいの炎上騒動は頻発しているから調べなくてもだいたい想像がつくからこのように中途半端な程度の認識で記事を書いているわけで。
この手の炎上騒動でよく言われがちなのが「誤った正義の暴走」「テレビ業界の台本を理解するリテラシーのない一部の一般人たち」といった論調なのだが、そういった考え方に対して強い疑問を持っているのでこの記事を書くに至った。
私が言いたいのはこのような炎上騒動が起きるのは「正義の暴走」というよりも、インターネットにより文字媒体でのコミュニケーションが容易になったことで自分の意見を表現するコストがこれまでと比較して圧倒的に少なくなったことによるのが原因だろうということだ。
よくてテレビドラマではこういう炎上騒動を起こす人間は、悪意に満ちた一時の感情にとりつかれた人たちのように描かれがちだが、実際のところ、誹謗中傷の書き込みをする人たちはそこまで怒り狂っているわけではないのではないか?私がむしろそういった人たちは怒りとか義憤というよりも、ずっと軽い気持ちで文字を打っているのだと思う。
現代はあまりにも自分の意見を表現するのが簡単になったし、伝えたい相手に簡単に届くようになった。こういった炎上騒動は科学技術の進歩の代償なのだろうと思う。
そのような問題に対して単なる道徳論に頼るのではなく具体的な解決方法を提示しない限り解決はできないだろう。
私が考える具体的解決策は、インターネット上で文章を投稿する際にいくつかクッションをはさむということだ。投稿する際に必ずポップアップが表示されて投稿者に対して投稿への責任を喚起する文言が表示される。過激な語彙が含まれる投稿には更にもう一つポップアップが出る。もちろんこれによって劇的に状況が改善するとは思わないが、心を痛めるようなある程度の減少は見込めるのではないか。
2021/03/31 今年の反省
もうすぐ4月になり年度が変わる。2020年4月から2021年3月を振り返ると、コロナで色々したいことが出来なかったということもあるかもしれないが、悪い意味で安定した日々で取り立てて思い出というものもなく、人間として何か成長したような確固たる感触もなかった。コロナというのを良い言い訳の材料にしていたような気がする。4月以降、急に人が変わったように努力して何か特別な能力を得るなんてことは不可能だが、これまでよりも少しだけでもいいから成長できるようになりたい。